TETAUのD&I「シームレスにつながり、つながるための接点をつくる」

TETAUのD&I「シームレスにつながり、つながるための接点をつくる」

中学生のころから、毎晩夜遅くまで父とディスカッションするのが日課でした。
父が与えてくれた様々な種類の本(例えば宇宙、医療、外国、哲学など)を読んで、「ここはおかしいと思う」とか「ここはなんで?」と思ったことを、仕事から帰ってきた父を捕まえて何時間も話しました。

その中で特に印象に残っていることがあります。
『優秀な人たちだけ集めてもよくはならない』ということ。
中学生だか、高校生だかのわたしは、「そんなわけない」と強く思いました。
生産性10の人が10人であれば生産性は100。
生産性1〜10の人が10人であれば55。
どう比べたって100の方が優れているではないか、と思いました。
この言葉は、今でもずっと胸に刺さったように残り、考え続けるきっかけを与えてくれました。

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「優秀な人たちを集めた方が、よくなるはずだ」
その思いはその後もなかなか消えはしませんでしたが、今では「多様性」は最も大切な一つの下地となっています。

なぜ多様性が大切なのか。
それは「個が世界の全てが見るのは無理だから」に尽きると思います。
優秀な人の方が生産性が高い、というのも間違いではありませんが、あくまでも限定された部分においてです。
世界はそんなに狭くはないということでしょう。

自然界はそもそも多様であることで命をつないでいます。
人間はいつしか生産力が重要な要素だと重きをおいていますが、
もっと広い視野で見れば、生産性も意味を失います。

自然環境の破壊によって自分たちの暮らしが脅かされていること、一つ考えてみても、
生産性という狭い視野に囚われてきたことがわかります。

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東京から地方に来て、様々な活動を続けて5年。
優秀な人が思いを込めて一生懸命立てた企画のインパクトが労力に見合わない、というケースを多々見てきました。
企画を聞くととても面白い。わくわくするような素敵な企画です。
目標としているのは地方活性化。地方が元気になってほしいとその方なりに本気で思っています。
しかし上手くいきません。必死になっても動きません。
これはわたしの実話です。そして他の人たちの実例も同じように見えました。

なぜだろうか。
答えは簡単で「価値観が異なるから」です。

価値観が違うということを受け入れるだけであればそれほど難しいことはありません。
「わたしはこう思うけど、あなたはこう思うんですね」というだけですから。

しかし問題はやや複雑です。
「価値観が違うとはいえ、達成すべき目標がある」
ということです。

「売り上げをあげていかないとまずい」
「財務を改善しないとつぶれる」
「目の前に今困っている人がいる」
そういう目的をもったとき、価値観の違いは大きな壁となり阻んできます。

価値観の違いは「分断」を生み出します。

必死でやっている人は「なんであの人たちは動かないんだ?」と思い、
同じメンバーは「もっとビジョンを明確にしてくれないと」と愚痴をいう。
なんとか議論して解決しようとするが、溝は深まるばかりです。

「何をやってもどうせ上手くいかないし、それはそれでいいんじゃないの?」「なるようにしかならない」という考え方も理解できますし、わたしもそう感じることもあります。

しかし、人間は知性を個性として生きてきた種です。
だからわたしたちは「知性」をもってしてでないとこの地球では生き残っていけないと考えています。

この「知性」は「勉強して知識を増やす」ことだけを指しているわけではありません。
知るのはそう単純ではないと感じます。
言語には限界があるし、表現は言語だけではないからです。

言語だけでない「知性」を発揮するためには、
「さまざまな体験をして、色々な方法でアウトプットする」ことが必要だと考えています。

それが関わり代を伸ばすことであり、それによって皆がシームレスにつながります。
全員が完璧に理解しなければならないのではありません。
理解できない人ーちょっとだけ理解できる人ーかなり理解できる人ー完璧に理解できている人
とつながるのが多様性の受容だと考えます。

マジョリティがマイノリティを理解する、というのは危険な考え方だと思います。
すでにその考え方が分断から抜けきれていない、と感じます。
マイノリティだろうが、マジョリティだろうが、その中の人はさらに色々なわけですから。

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では「知性」をもって関わり代を増やしていくためにはどうしたら良いのでしょうか。
イベントを色々開催してもなかなか上手くはいきません。
なぜかといえば、人は「自分ごと」でないと学ばないからです。
もともと広い分野に関心がある人は、多くのことが自分ごとでしょうけれど、多くはありません。
「理解して欲しい!」と一生懸命にやっていたらいつかは分かってくれる、というのは
とても美しい考え方ですがとてつもない時間がかかることだと思います。

ここでも重要なのはシームレスな考え方です。
実体験として自分ごとで考えられる人
身近な人からそれを聞いて少し自分ごとになっている人
自分ごとにはなっていないが「楽しい」から参加する人
とシームレスな状態にして行ければ良いと考えています。

いろいろな人が学ぶための誘発要因を創り出すことも忘れてはいけません。
それによって自分たちの伝えたいことが「エゴ」なのではないかという、クリティカルな問いを常に持ち続け、
その人のことを理解しようという姿勢が生み出されます。

わかる人たちだけでごちゃごちゃやるのは楽しいし、楽です。
でも目的があるのであれば、きっとそのやり方は意味を成しません。
目的を忘れて、わかる人たちと楽しむ、としてしまえばその活動も上手くいくかもしれません。

誘発要因から始まり、シームレスにつないでいくこと。
それを「学び」の形にし、また組織の中もそうつなぎ、また組織の外ともそうつながっていく。
それがわたしたちの考えるD&Iの形であり、その考え方がTETA子屋や支援学校への授業提供など様々な活動を生み出しています。